温故知新 愛機X-T1 昭和レトロを振り返り

福豆たすくの部屋

僕の初めてのマイカメラは、小学校の時に中古で買ったYASHICA(ヤシカ)のフィルムカメラだが、その後に社会人となり初めての給料で買ったのが、当時すでにAFカメラ全盛の時代に中古で買ったMFのフィルムカメラNikon F3である。

なぜMFを買ったのかと言えば、両親がMFのフィルムカメラを使っていたからであり、その影響というか憧れだったからだ。余談だが車もオートマ全盛の時代に長らくマニュアル車を乗っていた。

それから時はさかのぼり、世はデジタルカメラ全盛の時代に突入する。かくして僕は何台ものデジタルカメラを渡り歩き、2021年1月オールドレンズ(古き良き時代のフィルムカメラ専用のレンズ)を使うべく、その母艦としてFUJIFIRUMUのX-T1 を手に入れる。

★X-T1とオールドレンズ★

X-T1とは2014年11月28日に富士フイルムより発表されたミラーレス一眼カメラである。当然中古での購入となる。オールドレンズで使う母艦と言えばやはりSONYのフルサイズのデジタル一眼、α7シリーズが有名であり王道であった。

ではなのに、なぜX-T1なのかと言うと、まずα7シリーズは値段が高かったからである。中古といえどそれなりにした。しかしセンサーはフルサイズである。フルサイズと言うことはオールドレンズの画角をそのまま生かせるのである。α7シリーズがオールドレンズの母艦として好まれるのはそれゆえんでろう。

しかしX-T1はAPS-Cである。APS-Cと言うことはセンサーサイズがフルサイズより小さく、オールドレンズを装置すると、レンズに表記されている焦点距離の1.5倍程となり画角が変わってくる。

当然レンズの性能の良い中心部を使うので、写りは良好となるが、オールドレンズの味とも言えるレンズ端の歪みなど、良くも悪くもレンズそのものを味わえないのだ。

ではなぜX-T1なのか。それは富士フイルムだからであり、X-T1だからなのである。富士フイルムの色作りや方向性、こだわり、そして何よりカメラ本体のデザインがまさに秀逸、僕好みなのだ。

フィルムカメラちっくな、アナログなあれである。なんとも言えない美しさなのである。もちろん操作性も写りも申し分ない。動画機能や最新を求めなければ今でも充分なのである。

今は動画機能と、オールドレンズの本来の画角を性能を楽しみたくPanasonicのLUMIX S5をメイン機として使ってはいるのだが、X-T1は今でもサブ機として現役であり、時間のあるときに手にしては愛でているのである。

★温故知新(おんこちしん)★

古い教えから新しい知識を学ぶこと。「故きを温ねて新しきを知る」と読むが、オールドレンズはそれを体感するのにうってつけなのである。

今、昭和レトロが熱い。フィルムカメラも人気が戻ってきた。今のカメラのパリっとしたピント、なんでも綺麗な写りとは真逆な、どこかレトロな色合いや写り、フレアやゴーストも楽しめる。まさにそこに萌えがあり映えであるのだろう。

しかもピント合わせも手動であるのだからカメラ、写真を学び体感するのにうってつけ。まさに「故きを温ねて新しきを知る」なのだ。

つい先日、東京蒲田にある昭和レトロな小さなマンションの一室を使ったスタジオで、モデルさん達と撮影を行ったのだが(先日の投稿「心を震わされた写真撮影会」参照)あの時間は、まさに古き時代の文化、習慣を若い子達は追体験し、僕ら世代は懐かしみつつ改めてその良さを再認識し、今時にバージョンアップ出来たのだ。

人工AIのような時代の最先端、人類初の領域が新しいもの全てではない。周り回って古きものが新しいものとなって戻ってくるのである。しかも刷新され洗練されて。当時は古いとかダサいとか言われ感じていたものも今時になる。再認識されてるのだ。定義の再構築。面白いではないか。

温故知新、僕ら世代は今の若い子達にとっては旧世代だろう。まさに昭和レトロな時代のど真ん中の産物なのだから。しかしそれは強みでもあり弱点でもある。

古きに捕らわれ、取り残されバージョンアップ出来なければそこまでである。しかし古きを知り血肉となっている物を、再認識し、再定義し直し、バージョンアップできれば、それは何者にも代え難い感覚、技術、戦力となる。

新旧の融合。水と油ではない。それは人でも同じである。そして次世代へ紡がれていき、今を産み出していくのだ。

愛機X-T1を傍らに考察す。

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